一般的に、発注側、請けがわいずれかの母国語が公用語である事が、オフショア開発のリスクを軽減するための鉄則だと考えると考えられています。
私はそれは本質的な事ではないと、実は考えています。
オフショアプロジェクトでは、文化が違う物同士が一緒に仕事をするため、まず日本人同士とは違う地点からのスタートであり、ゴールもそうである。ゴールとは、その団体がそれなりにまとまって、期待される機能を果たすようになった地点と考えます。それが異なるというのは、その団体が所属する国の文化、法律、人々の生活感、それぞれが日本国内と違うからです。日本は、非常に高度な単一民族の国家ですので、他の国が異なるというのはごく当たり前のことだと思います。
私は人種の坩堝の代名詞であるニューヨークで20年近く過ごしてきましたが、東南アジアも今後ますます人種の坩堝となっていくでしょう。人種が混在する団体は、それなりに日本人同士とは違う世界となります。
システム開発に話を絞れば、文書化できる内容に対して決められた時間、品質で製造するだけ、と割り切った付き合いも良いのかもしれませんが、やはりお互いに理解し合おうとするほうがモチベーションは上がり、発展の可能性が増えるでしょう。
そして言葉に関しては英語を公用語とすることで、お互いにネイティブではない英語という、情報をやり取りすると「道具」を使いましょう、という切り分けを明確にできると思いますし、多くの国の人々にとってもっとも効率的な道だと思います。それどころか、ヨーロッパやシンガポールの人々のように、だれもが2~3ヶ国語は解する、というのがあたりまえになるかもしれません。しかも、今後10年もたてばその言語の中日本語があるかは怪しいでしょう。
若い世代が増え続けている東南アジアの各国からは、どんどんスタートアップが増えつづけ、クリエイティブな活動が盛んになっています。日本と他の国とのコラボレーションは、今後バラエティに富んだものとなっていくでしょう。今こそ日本語からプロジェクトを解放してみる時期ではないでしょうか。